●◎●ピラミッド●◎●

エジプト・中南米などに見られる四角錐状の巨石建造物の総称。また、同様の形状の物体を指す。その形からかつては金字塔(きんじとう)という訳語が使われていた。現代においても「金字塔」は、ピラミッドのように雄大かつ揺るぎもしない業績などを表す代名詞となっている。旧来、ピラミッドの建設は多数の奴隷を用いた強制労働によるという説が主流であったが、当時の技術力・国力からして奴隷労働なしでも20年程度で完成可能と考えられる点、奴隷を徴用した証拠がないという点から、一部の研究者には疑問を抱かれていた。近年のピラミッド労働者の村の発掘で、労働者たちが妻や子供といった家族と共に暮らしていた証拠や、怪我に対して外科治療が行われていた痕跡が墓地の死体から見つかり、現在では奴隷労働説は否定されたと言って良い。そもそも古代エジプト社会は古代ローマや古代アテナイの社会と異なり、農業や手工業といった通常の生産労働も奴隷労働に依存せず自由身分の農民によって成されており、人口の少数しか占めない奴隷は家内奴隷が主体だったと判明している。吉村作治は、ピラミッド建造は定期的に発生したナイル川の氾濫によって農業が出来ない国民に対して、雇用確保のために奨められた国家事業であったと繰り返している。しかし、それに関する論文などは存在しない。ピラミッドが国家事業として作られたという説も、吉村のオリジナルではなく、クルト・メンデルスゾーンによって既出である。(邦訳:ピラミッドの謎/文化放送開発センター出版部) ただしメンデルスゾーンは、ピラミッドを作る目的が国家事業だったとは言っておらず、事業形態が国家事業であり、建設の目的自体は主に墓であっただろうと述べている。ピラミッド建設に必要な石材は主にナイル上流のアスワン付近で産出し、石切場で切り出された後、粗加工した状態で搬送されたと考えられる。それらの石は一定の規格寸法があった訳ではなく、現場で必要な寸法に合わせて専門の職人が鑿で整形していた。石材を積み上げるに当たっては、日乾し煉瓦と土などで作業用の傾斜路が作られ、その斜面を運び上げられた。この傾斜路はピラミッドを取り巻くように築かれ、4辺で直角に転回しながら石を運び上げていったものと考えられていた。この方法だと施工面積を最小限に抑えられるからである。しかし最近は転回しなくて良い、長大な一本道が使われていたという説が多くを占めるようになってきた。この方法だと、各ピラミッドの傾斜路がナイル川から石材を降ろして運び上げるのに丁度良い位置に来る、という研究もある。クフ王の大ピラミッドについて、1978年に大林組が「現代の技術を用いるなら、どのように建設するか」を研究する企画を実行した[1]。それによれば総工費1250億円、工期5年、最盛期の従業者人数3500人という数字が弾き出された。1立方m当たりの価格は、コンクリートダムが2万4000円前後に対してピラミッドは4万8000円になるという(金額は当時のもの)。